昨年の8月のはじめ、ぶっ倒れ入院となり病院内でストレッチャーで運ばれながらCTやエコーを受けたのを今でも覚えています。かなりの月日が経ちましたが自分が現実を完全に受け入れられてる訳ではありません。
今月の頭、初回治療最後の抗がん剤投薬が終わりました。まだ治ってるかは判明していないので嬉しいとかそういう気持ちはあまりないですが一段落した感じは何となくあります。
ただ冷静になってみると同時にこの半年間で色々なものを失ったんだと感じます。
昨年の4月
今年度こそは1年のときみたいにならないように努力しようと決意してました。自分の決意は残念ながら現実のものとならないことが大半でしたがこれに関しては奇跡的に現実のものになりました。
絶望的な成績だった理系科目の成績も平均点程度まで回復したし、元々得意だった英語系の科目の成績も順調で、昨年度悩まされた先延ばし癖にも負けず課題も大半を期日までに出していました。
夏休みに入っても苦手な物理や古典を理解しようと数少ない友人と勉強したりと、今年度の初めは割と順調な方でした。
でも病気が分かってからは文字通りそれまで積み上げていたもの全てが崩壊しました。なんとか学校に復帰したときには完全に浦島太郎状態で何も分からず、定期的な投薬で精神が持たなくなり自殺も試みた。
勉強とか課題どころか趣味のゲームや開発でさえまともにできなくなりました。
今年の2月
最後の投薬が終わった今もその状況はあまり変わっていません。
現在治ったかの検査の結果を待ってる最中ですが、ここで治ってないとなれば場合によっては大量化学療法からの造血幹細胞自家移植という今までと比べ物にならない苦痛が待っています。
仮に治っていたとしても今後再発をせずに乗り越えられるのか、壊滅的な成績と進路はどうなるのか、がん家系の遺伝子を持ちながらこれ以上がんと無縁でいられるのか…
まあ恐らく造血幹細胞移植よりはマシだけれども相当な困難(というより今までのツケ)が待ってるはずです。
学校生活と闘病を両立すること自体に無理があったのかもしれないと最近思っています。
病気と判明したとき、自分には留年して治療に専念し来年度やり直すか、なんとか学校に通って進級するかの二択が与えられていました。父親は前者を、母親は後者を推していました。
自分は理不尽な理由で留年になるのが嫌だったので後者を選びましたが、結果としてこの有様です。無理に抗おうとしたのが良くなかったんだなって今さら後悔しても遅いです。
なんでこんな目に遭わなくてはいけないのか。誰かのせいにしたいですが誰のせいにもできません。