治療
ずっと悪いニュースばかりでしたが今回受け取れたのはいいニュースでした。
2年ぶりに体内から検査で確認できるサイズの腫瘍が消滅していることがわかりました。
大量化学療法では消えなかったからいずれまた再発する可能性が非常に高いらしいけど、今の抑える治療を順調に続けていれば最低でも1~4年くらいは持ってくれると思います。
副作用に耐えられなくなって中止とかなったら別だけど。
ピノコニー編クリア
警告: 病気・自殺に関するトピックあり
PV公開からなんだかんだ5ヶ月以上経過してついに完結した訳ですが、まあなんというか色々すごい話でした。開幕早々2名も殺されたりサイドストーリーでNPCが自殺したり(これ選択肢次第で救えたらしくて1週間くらい引きずってた)と前半があまりにも*"wholesome and uplifting"* でどうなることかと思ってましたが割と後半はポジティブなお話でした。
誰だ休暇編とか言ったやつ
全体的な感想
今回のストーリ、全体的に重くてかなり考えさせられる話が多かった。ロビンが何気に(悪い意味で)エグい性格なんじゃないか、みたいなのがスタレのサブレディットの一部で勝手に予想されてた(“harmonyじゃなくてharm-onlyだよ!” とか “If I can stop one heart from beating” のミーム画像まで作られてて笑ったのは内緒)けど幸いなことに外れました。
現時点では人が完全に現実から逃れられるような技術は存在しないけど、終わりがない現実逃避って意味ではSNSとかドラッグとかODとか部分的に当てはまるものならいくらでもあると思う。何なら程度によってはゲーム自体も。これ書いてて “いやどんなゲームでもコンテンツ量に限度はあるんじゃない…?“とは思ったけどガチャで破産してる人とか見るとなんとも言えなくなる。
適度に現実から逃れるために楽しむ分にはいいし、そこから得られるものがある時もあるけど現実とそれを入れ替えると本末転倒だよねみたいな(これは自戒です…)
終盤で言われてた「他人に助けてもらうことはできても最終的に自分を救えるのは自分だけ」ってのは本当にそうだと思ってます。
他人のためでも自分の一時的で表面的な満足感のためでもなく、自分自身のために生きれれば(いい意味で)人間らしく生きられるんじゃないの、的なのが最終的に言いたかったことなんだと思います。
以下ひとりごと本編
そもそもわたしがスターレイルを始めたのはほぼ一年前、入院を繰り返してた時の単純な暇つぶしとしてだった。ちょうどリリース直後で、MisskeyのTLでフォロワーがやってるのを見て自分も暇だし試してみるかってやってみたら面白くて続いてる感じ。色々あって精神が正常じゃなかった期間はログインすらしてなかったしずっと続いてたって訳じゃないけど。
演出とかBGMとかキャラは始めた当初から好きだけど、ぶっちゃけピノコニーが始まるまでのストーリーは普通かなってのが正直な感想だった。というかそもそもソシャゲにストーリーを求めるという発想がなかった。
開発者配信で休暇編とか言われてたピノコニーは蓋を開けてみればすごい展開で、それまでのストーリーと比較しても重みがすごかった。単純に情報量が多いとかよりも内容が刺さるやつが多かった。
個人的には「墓に刻まれる名前」の話が一番刺さった。
人間死ぬことは避けられないし変えられないことばっかりだけど、自分が死ぬ時の状態がなるべく自分の理想に近くあってほしい的なことが語られてた。
わたしが昨年11月にあの宣告をされた直後はほんとに何もする気にならなくて、受験に関わるとかでなんだかんだ備えてた英検も適当にぼーっと受けて帰った。壊れたPCケースを買い替えるときでさえ「どうせそう遠くないうちに死ぬかもしれないのにこれに意味があるの?」みたいなことを考えて渋ってた。
その後ネットでいろいろあってちょっとだけ回復して、それをきっかけにやっと進学とかまで現実的に考えられるようになって、それ以降ゲームとか開発とか学校周りとかも考えられるようになって無事卒業進学できて今に至るって感じ。
多分当時の自分の心にも “もし死ぬんだとしてももうちょっと理想まで足掻いてみたい” って気持ちがあったのかなって思った。めちゃくちゃ消したい(今の理想からかけ離れた)過去が一部あるから尚更。
親の陰謀論と病気に翻弄された学生だけのまま死にたくないし、思想拗らせて社会から浮いた協調性のない存在のまま死んでくのも嫌だし、承認欲求とかに呑まれて見栄えだけの自分の幻覚の中で生きた人間にもなりたくない。夢って言うと言語化できる具体的なものを求められがちだけど、言葉にはできなくても自分の中にある理想な状態に近づけたらなあとか思ってました。
自分は病気になるずっと前から心の中で死は一種の救いなんじゃないかな、みたいなことを思ってる部分があった。残念ながら病気になってからもそれは変わらなくて、2.0のココナのサイドストーリーで自殺するのを見送る選択肢を選んだのもこれが理由。一連のストーリーのせい(おかげ)もあって最近また死にたくないの気持ちが戻ってきたけど、実際そう遠くないうちに死ぬ可能性は変わらないのでちょっとしんどい部分はある。そしてそれ以上に、生きるためにこれだけの労力を払って周りに迷惑をかけておきながら、数えきれないほど死にたいって思ってた自分をどう見ればわからないのが一番しんどい。
ホタルの「生きるために」関係のセリフがピノコニーで一番(いい意味で)刺さって痛かった。
ドリームボーダーとサンデー戦前の「感覚を大切にして過ごしたい」みたいなニュアンスのことを言ってたシーンも刺さったし、この投稿の前半で紹介したver2.2の現実逃避への言及とかも自分への戒めとして結構刺さった。病気とか災難とか変えられないことばっかりだけど、自分にとっての"終わり"がなるべく自分にとっていいものであるように足掻けたらなって思った。
もし将来、今の治療が持たなくなって次の治療の死亡率を見させられてもこのメンタルを保ててるかは謎だけど。今まで無理だと思ってもなんとかなってきたので今後もなんだかんだやり過ごすんじゃないかなって、今はちょっとだけ楽観してます。
自分にとってゲームは娯楽だからなるべく現実とゲームを絡めないようにしてたんだけど、ピノコニー編ではそうとも行きませんでした。でも今回はそれでよかったと思う。刺さりすぎて重いからできるなら次のバージョンはもうちょっと軽い話がいいけど。